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おうしゅうにおけるみたちふじわらし

奥州における御館藤原氏

喜田 貞吉

「民族と歴史 第七巻第六号」1922(大正11)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,211 字 · 34 页

青空文庫

五 役後の処分

てしまった。始めて阿津賀志山に戦を交えてから、わずかに二十余日、平泉に百年の栄華を誇った御館藤原氏ここに滅び、安倍氏以来三代約百四十年間、奥羽の中央に蟠居しておった俘囚の勢力は、ここに始めてその根柢から覆されたのである。

五 役後の処分

乱平定の後、頼朝は、葛西三郎清重を奉行に任じて奥州の御家人を進退せしめ、以下それぞれ勇士勲功の恩賞あり、翌年三月十五日にはさらに伊沢左近将監家景を奥州留守職となし、これより両人奥州総奉行と号して国務を執ることとなった。当時出羽にも留守所があったが、何人がその所務に当っていたかは明かでない。やはり秀衡・泰衡時代の例によって、いわゆる奥州総奉行が奥羽両国を管領していたのであろう。『吾妻鏡』文治五年十月の条には、国中のことは秀衡・泰衡の先例に任せて沙汰すべしといい、同正治二年八月条にも、陸奥・出羽両国諸郡郷地頭所務のことは、秀衡・泰衡の旧規を守るべきの旨、故将軍の御時に定めらるとあるのである。

この時、葛西・伊沢ら奥州総奉行の勢力の及んだ範囲は、果してどの辺までであったであろう。『吾妻鏡』文治五年十一月八日の条によれば、窮民賑給のために農料種子を供給した範囲は、磐井・胆沢・江刺・和賀・稗貫の五郡であって、紫波・岩手等その以北には及んでおらぬ。