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おんなごころしゅうい
女心拾遺
矢田 津世子
「文学界」1936(昭和11)年12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,514 字 · 36 页
子供の頃の夫人は、母のこうした姿のみを眺めて暮してきた。父は羽後でも名だたる酒の醸造元で、今でも名酒と折紙をつけられている「鶴亀」「万代」など、この父の苦心の賜物であった。生来、活動的に出来ている体が、朝は明け切らぬうちから酒倉へ入って杜氏を励ましたり酒桶を見廻ったり、倉出し時には人夫に混って荷造りをしたり番頭の帖づけを手伝ったりして、いっ時も休むことなく働きつめるという風だった。この父に、たったひとつ、妾宅なしではすまされぬという困った癖があって、それも二、三軒を見廻り歩くのが慣しになっていて、本宅では殆ど寝泊りをするということがない。母や姉たちと母屋に住み慣れている伊予子は滅多に酒倉や店をのぞくということがないので、常の日は父を見かけることがなかった。正月とか何かの儀式のあるような時にだけ、父は家に戻っている。いまだに町人髷を頭から離さぬ父は、結いあげたばかりの鬢の張った艶々しい髪がいかにも美くしくて、紋服に袴をつけた恰幅のよい姿は大家の旦那然とした貫録を示していた。そんな盛装の父しか記憶にのこっていない稚い伊予子は、父というものはいつも紋服に袴をつけているものと決めていた。