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こうじんぶつ

好人物

豊島 与志雄

「読売評論」1950(昭和25)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,567 字 · 21 页

青空文庫

酒場のマダムという稼業だけで、何にもない。何にもない。わたしは念入りにお化粧をするようになった。商売柄、あまり派手に目立ってもいけないので、ほんのりと匂う程度に、ずいぶんと苦心をする。

こんなことをして何になるのかと、時には反省してみる気分にもなる。頼りないのだ。世の中が、自分自身が、頼りないのだ。この人ならと、頼りにしていた高木さんまでが、よく識るにつれて、だんだん頼りなくなってきた。

初めはわたしの方から捨て身になって、寄りかかっていったのだけれど、もうもう、別れてしまおうと、幾度思ったか知れない。けれど、あの人は、私の方から寄りかかってゆけば、何のこだわりもなく抱き取ってくれた、それと丁度同じように、私の方から立ち去ろうとすれば、何の未練もなく、振向いて見ることさえしないだろう。それがわたしには不満なのだ。もうわたしに倦きはてた、というのではない。あの人にとってわたしは、路傍の石にも等しいのだろうか、飼い猫にも等しいのだろうか。もしあの人が、惜別の涙の一滴でも流してくれるなら、わたしはほんとに別れてみせる。わたしにも意地というものがある。即くも離れるも一向平気だとなれば、わたしは別れたくない。