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こうじんぶつ

好人物

豊島 与志雄

「読売評論」1950(昭和25)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,567 字 · 21 页

青空文庫

それから次に、高木のことをふっつり口にしなくなった。いやな兆候だと私は思った。

ムラサキの店の方は、菊ちゃんが、料理番相手にどうかこうか続けていた。三千子は退院後しばらく、あまり店の方には顔を出さなかった。

その当時のことだ。私は高木と連れ立って、ムラサキに飲みに行った。だいぶ飲んで酔っているところへ、三千子が出て来た。他にも客があったが、三千子は真直に高木の方へやって来た。うわべばかり体裁のいい安物の洋装ではなく、きりっとした和服姿で、蝋のように蒼白な顔色だった。

「あなた。」

彼女は眼を据えて言った。

「やっぱり、駄目ですの。菊ちゃんのことを頼みます。」

不思議なことに、高木はお時儀をするように頷いたのである。その肩のあたりへ三千子は倒れかかるように寄りそって、彼に公然とキスした。そして、周囲へは一瞥もくれずに、奥へ引きこんでしまった。高木は顔を伏せて、卓上の両掌に額を支え、眼をつぶって考え込んでいた。

私は唖然とした。それからばかばかしくなった。高木と三千子は、面と向って逢わないまでも、互に交渉しあっていたのではないか。私一人、仲に立ってるつもりで、やきもきすることはなかったのだ。