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ようえい

妖影

大倉 燁子

「オール読物」文芸春秋、1934(昭和11)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,489 字 · 22 页

青空文庫

が、一刻も早く訴え出なければならない。愚図々している場合でないので、悲壮な決心をして立ち上り、ズボンに手を突込んで手巾を出そうとした拍子に、ぱらりと落ちた紙片があった。小さく折り畳んであったが、ちょっと気にかかったので拾い上げてひろげてみた。

『あなたは嘗て、トワンヌのなかにあるチックという小説をお読みなったことがありますか?

あなたの興味をそそった物語は、勿論私達の身の上話ではありません。

夫はある人への暗号通信以外に空中に英文を書く必要もないし、従って妻の白い手袋の中にある五本の指もみな無事について居ります。

愛国心に燃ゆる吾々が、ある目的のため危険を冒す場合に演じる一幕は、役者が命がけでやっている芸なのですから、見物人が魂を奪われたって仕方がありますまい。しかもあなたの場合は薬まで呑まされているのですから――。多分罪にはなるまいと思います。またそうあろうことを希望してやみません。一時にせよお互はよいお友達であったのですから。

無断で拝借した暗号はなるべく早くお返しするようにいたします。それまであなたが今のまま安らかに眠りつづけていて下すったら――、と念じつつ――』