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こをうばう

子を奪う

豊島 与志雄

「中央公論」1921(大正10)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,292 字 · 80 页

青空文庫

そうすれば敏子とても、一生世に埋もれずに済む、少なくもも自由な道が歩けるだろう。それで自分の過去は晴々となるのだ。罪の購いなのだ。而もそれによって、兼子の生活まで救われるだろう。女には良人以外にも一つ、生活の頼りとなるべき人形が必要である。その人形は、普通の女にとっては子供なのだ。兼子に子供を与えることは、彼女の寂寞たる生活を救うかも知れない。そうだ。彼女がその子供を愛しさえすれば……。

彼は執拗に兼子の眼色を窺った。その眼は少しも濁っていなかった。

「お前は、」と彼は云った、「後悔するようなことになるだろうとは、少しも思っていないのか。」

「ええ。なぜ?」

「自分の児でなければ子供なんか寧ろない方がいいとか、または、依子よりも寧ろ他人の子供を養子にした方がよかったとか、そんな気持ちになりそうな不安は、少しも感じないんだね?」

「ええ、ちっとも。私ただあの子を育てたいんですわ。」

「なぜ?」と此度は彼の方で反問した。

彼女の答えは簡単だった。

「あの子なら、全く他人ではありませんから。」

「だからなおいけなくはないかしら。」

「いいえ。私はもう昔のことは何とも思っていませんの。