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こをうばう

子を奪う

豊島 与志雄

「中央公論」1921(大正10)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,292 字 · 80 页

青空文庫

昨晩だってごらんなさいな。」

昨晩――依子は早く寝た。一人で幾代の室に寝かされていた。すると、三十分ばかりして急に泣き声が聞えた。幾代が茶の間から立っていった。彼女は半身を布団の中に入れて、依子を寝かしつけようとした。然し依子は泣きじゃくりを止めなかった。「お母ちゃん、お母ちゃん!」とくり返した。幾代に呼ばれて兼子はやっていった。彼もついていった。依子は「お母ちゃん。」を云い続けて泣いていた。

「お母様が来ましたよ」と兼子は云った。「もう泣くんじゃありません。さあ、いい児ちゃんですからね。どうしました、え、どうしたの?」

依子はじっと兼子の顔を見た。そしてただ一言「お母ちゃま。」と云って眼をつぶった。兼子はそれを膝に抱いてやった。上から掻巻をかけて寝かしつけようとした。然し依子は長く眠らなかった。彼が代って抱くと、まじまじと眼を見開いて室の中を眺め廻した。兼子が抱くとすぐに眼を閉じた。然し眠ったのではなかった。兼子は半分布団の中にはいって、長い間かかって遂に寝かしつけてしまった。

「寝そびれるといつもこうなんです。」と幾代は云った。「夜中に眼を覚してお母ちゃん、お母ちゃん、と云って困ることがよくありますよ。