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てらだとらひこのついそう
寺田寅彦の追想
中谷 宇吉郎
「寺田寅彦の追想」甲文社、1947(昭和22)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,683 字 · 40 页
しかしその名前は当時の私には縁の遠い話であった。後年その先生の助手として、実験のお手伝いをするような巡り合わせになろうなどとは、勿論夢にも思わなかった。
『丸善と三越』を手始めに、先生の随筆が次ぎ次ぎと中央公論に出始めたのは、大正九年のことである。後で知ったことであるが、その前年の暮に、先生は大学の研究室の中で突然吐血された。三年越しの胃潰瘍が遂に破局に近い状態にまで来たのであった。直ちに大学病院に入院し、真鍋氏の診療を受けて、危機は脱しられたのであるが、その後の二カ年は、自宅で療養生活を送られた。その静養の間にあって、藪柑子時代以後一時中絶していた先生の創作意欲が、急にはけ口をもった清水のように、渾々として流れ出したのであった。
初めはいろいろな筆名を使われたが、そのうちに吉村冬彦ということに落着いて、私たちの頭の中に、いつの間にか冬彦先生というはっきりしたイメージが出来るようになった。その頃の高等学校の学生たちの間には、特に哲学熱が高かった。澎湃として起って来た思想問題の嵐の一つの現われであったのであろう。大正十年の暮に岩波の『思想』が初めて出て、その創刊号が私たちの手に入った時の感激は、いかにも若々しいものであった。