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ろうじゅうのめがね

小笠原壱岐守

佐々木 味津三

佐々木味津三『小笠原壱岐守』。同一底本的分册已合并为一书。收入:老中の眼鏡、十万石の怪談、流行暗殺節、山県有朋の靴。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 57,249 字 · 115 页

青空文庫

「平七! 行くぞ! さきへ!」

逃げるように角を入れて、駈け出そうとしたその一瞬だった。

突然、目をつりあげて、その平七が横から飛びつくと、お雪の放した有朋の靴へ、身代りのように武者ぶりついた。

「なんじゃ! たわけっ。おまえが、おまえが、なにをするのじゃ。放せ! 放せ!」

しかし、平七の手は放れなかった。武者ぶりついたかとみるまに、ずるずると片靴を引きぬいた。

反抗でもなかった。憤りでもなかった。恋でも、義憤でも、復讐でもなかった。水ぶくれのように力なくたるんでいた平七の五体が、ぷつりと今の今、全身の力をふるい起して、はじけ飛んだというのがいち番適切だった。

抜き取ったその靴をしっかり両手で抱いて、ぼろぼろと泣き乍ら、土手を下へおりていったかと思うと、まだ陽の高い秋の大川の流れの中へ、じゃぶじゃぶと這入っていった。

とみるまに、すうと深く水の底へ沈んでいった。

「あっ。ありゃ、ありゃたしかに金城寺の旦那さまの筈だが、――お見事だなあ」

寄り集っていた群集の中から、年老いた鳶の者らしい顔が出て来ると、感に堪えたように言った。

「金城寺の旦那さまなら、水練に達者の筈だが、泳ぎの出来るものが溺れ死ぬのは、腹を切るより我慢のいるもんだという話だが、――さすがだなあ……」