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しょうせつちゅうのおんな

小説中の女

豊島 与志雄

「サンデー毎日」1923(大正12)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,887 字 · 16 页

青空文庫

「鎌倉からの汽車の中だったように私は覚えておりますが……。」と彼女は云った。

睫毛の長い黒目の小さな怪しい眼が、私を正面にじっと見つめながら笑っていた。私はあの時の無作法を揶揄されてるような気がして、冷たい汗が流れた。と共に、何ともいえない驚きを感じた。夫人は円満に出来上ってる女らしかった。どんな場合にも挙措を乱さないだけの沈着と、一寸文学をも弄べるだけの怜悧な才能と、家政をも整えてゆける手腕と、人を外らさぬ気転など、大抵の美徳を具えていて、その代り、特殊な官能や、不幸に対する理解や、熱烈な情操などは、可なり欠けてるらしく見えた。一口にいえば、円満な平凡な現代婦人らしかった。そういうことを、私は彼女の全身から直覚的に感じて、みさ子と彼女との間に、心の据え場に迷った。

「あの時の……あれはあなたでしたか。」と私は漸くにして云った。

「ええ。あなたはもうお忘れなさいましたの?」

「それでも、何だか別な人のような気がするんです。ほんとにあなただったのですか。……そんなら、実際あの時は失礼しました。いやにあなたの顔ばかり見まして……。私はあの時一寸変な……夢を考えてたものですから。