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やまのこんじゃく

山の今昔

木暮 理太郎

「山岳講座」1936(昭和11)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,554 字 · 42 页

青空文庫

其年代は相当に古く、就中大宝の前後から延暦に至る七、八十年間に開かれたものが多かったようである。蓋し此頃に至りて仏教は漸く隆盛となり、朝廷に勢力を扶植し、日本の神祇もまた仏教に於ける諸天善神と同じく、仏法を悦び仏道に帰依し、之を擁護するものであるという思想が顕官貴紳の間にも広まったことは、気比神や八幡宮の託宣が之を証している。神前に誦経が行われ、神社の境内に神宮寺が建てられたのも、皆神が悦んで仏法の供養を受け納めるという考からであったことは前述の通りである。それがやがては進取の気象に富んだ卓越せる名僧大徳の間に、名山を開いて神に供養し、勝地に託して寺を建立することが本願とされるに至ったものであろう。勝道上人は男体山の登頂を企てた際、我若し山頂に到らざれば亦菩提に至らずと発願した。神に供養せんが為に目指す山頂に到ることが亦自己の菩提に至る所以であると思意されていたことが明かである。しかも上人の碑文は弘法大師の作であるからこれは当時に於ける僧侶の思想を代表するものと見てよろしかろう。時代の波に乗った新興の思想は、溌剌として暫くも停滞することなく、直に各地に伝播して、ここに日本登山史上に特筆さる可き僧侶による山開きの舞台が展開されたものと思われる。