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やまぶきちょうのさつじん
山吹町の殺人
平林 初之輔
「新青年」1927(昭和2)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,530 字 · 37 页
彼は急いで女下駄を爪先(つまさき)にひっかけて、夢中でおもてへ飛び出した。
意外にも、そとには何の変ったこともなかった。彼は張り合抜けがしたような気のゆるみを感じたが、それでも矢張りまんべんなく周囲に気をくばりながら、路地を抜けて通りへ出た。
暮れて間もない山吹町(やまぶきちょう)の通りは、いつものように大変な人出であった。夜店商人(あきんど)のまわりには用もない通行人がたちどまって、そこここに人垣をつくっており、夜店などには眼もくれない連中(れんじゅう)が、両側の人垣の間を、ひっきりなしに次から次へと往(ゆ)き来していた。こういう人ごみの中へ出てしまうと、彼の真蒼(まっさお)な顔も人眼をひく程目だたなくなり、背広をきて女下駄を穿いている妙な恰好にも誰一人注意する者はないらしかった。凡(すべ)てが、普通であり、何等(なんら)異常な点はなかった。つい数十歩はなれた路地に酸鼻(さんび)を極めた悲劇が起っていることを思わせるような何物もなかった。大都会という巨大な存在には、あれ位な出来事は皮膚の上へ一片の埃(ほこり)が落ちた位の刺戟(しげき)しか与えないのだろう。