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やまごしのあみだぞうのがいん
山越しの阿弥陀像の画因
折口 信夫
「八雲 第三輯」1944(昭和19)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,125 字 · 30 页
禅林寺の方で見ると、二脇士は山の曲に関係なく、山肌の上を降って来る様に見える。上野家や川崎家のでは、今も言った来迎の山を「二上」型に描く習慣が脱却出来ず、而も何の為に、其ほどに約束を守らねばならぬか訣らずなった為に、聖衆降臨の途次といった別の目的を、見つけることになったと見る外はない。
上野家蔵のも相好の美しさ、中尊の姿態の写実において優れているのや、川崎家旧蔵の山越図の古朴な感じが充ち、中尊仏の殊に上体と山との関聯に、日想観を思わせるものが、十分に出て居るが、二つ乍ら聖衆と中尊との関聯の上に、稍不自然な処がある。即、阿弥陀は山の端に留り、聖衆ばかり動いていると謂った画様の川崎家の物や、何やら、中尊の背後にした聖衆の動静に来迎図離れの感じられる上野氏の物、特に後者は、阿弥陀の立像を膝元近くで画いたところに、山越し像の新様式の派出を示している。なぜなら、そうなると西に沈む日の姿が、よほど態様を変えて来ることになるからだ。而も、此図に見られる一つの異点は、阿弥陀浄土変相図に近づいて居ることである。こうなって来ると、私などにも「山越し」像の画因は、やっとつかむことが出来るのではないかと思う。