轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

やまごしのあみだぞうのがいん

山越しの阿弥陀像の画因

折口 信夫

「八雲 第三輯」1944(昭和19)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,125 字 · 30 页

青空文庫

勿論、個人としての苦悶の痕などが、そうそう、絵の動機に浮んで見えることは、ある筈がない。絵は絵、思いごとは思いごとと、別々に見るべきものなることは知れている。為恭は、この絵を寺に留めて置いて、出かけた旅で、浪士の刃に、落命したのであった。

今こうして、写真を思い出して見ると、弥陀の腰から下を没している山の端の峰の松原は、如何にも、写実風のかき方がしてあったようだ。そうして、誰でも、こういう山の端を仰いだ記憶は、思い起しそうな気のする図どりであった。大和絵師は、人物よりも、自然、装束の色よりも、前栽の花や枝をかくと、些しの不安もないものである。

私にも、二十年も前に根来・粉川あたりの寺の庭から仰いだ風猛山一帯の峰の松原が思い出されて、何かせつない気がした。滝や、紅葉のある前景は、此とて、何処にもあるというより、大和絵の常の型に過ぎぬが、山の林泉の姿が、結局調和して、根来寺あたりの閑居の感じに、適して居る気がするのではなかろうか。

さて其後、大倉集古館では、何ということなく、掛けて置いたところが、その地震前日の紳士が、ふらりと姿を顕して実は之を別の処に出して置いて、静かに拝ましてくれというたのは、自分だったと名のるという後日譚になり、其が、籾山さんだったという事になって、又一つ不思議がつき添うて来る、ということに