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しまばらのゆめ
島原の夢
岡本 綺堂
「随筆」1924(大正13)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,148 字 · 8 页
河岸の柳は秋風にかるくなびいて、そこには釣をしている人もある。その人は俳優の配りものらしい浴衣を着て、日よけの頬かむりをして粋な莨入れを腰にさげている。そこには笛をふいている飴屋もある。その飴屋の小さい屋台店の軒には、俳優の紋どころを墨や丹や藍で書いた庵看板がかけてある。居附きの店で、今川焼を売るものも、稲荷鮓を売るものも、そこの看板や障子や暖簾には、なにかの形式で歌舞伎の世界に縁のあるものをあらわしている。仔細に検査したら、そこらをあるいている女のかんざしも扇子も、男の手拭も団扇も、みな歌舞伎に縁の離れないものであるかも知れない。
こうして、築地橋から北の大通りに亘るこの一町内はすべて歌舞伎の夢の世界で、いわゆる芝居町の空気につつまれている。勿論電車や自動車や自転車や、そうした騒雑な音響をたてて、ここの町の空気をかき乱すものは一切通過しない。たまたまここを過ぎる人力車があっても、それは徐かに無言で走ってゆく。あるものは車をとどめて、乗客も車夫もしばらくその絵看板をながめている。その頃の車夫にはなかなか芝居の消息を諳んじている者もあって、今度の新富チョウは評判がいいとか、猿若マチは景気がよくないとか、車上の客に説明しながら挽いてゆくのをしばしばきいた。