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かわなみ

川波

久生 十蘭

「別冊文藝春秋 第五十一号」1956(昭和31)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,022 字 · 18 页

青空文庫

「ひと跨ぎくらいのところなの」

泳いで渡れるところがあるなら、キャンプになんか居ることはない。

夜の十時ごろ、和田はキャンプをぬけだして、倫子が探しあてた場所へ行った。

土と草の香りがほのかに漂い、春めいた温かな夜だったが、空に風があるのか、星の光も見えないほど、あわただしく雲が流れていた。

川に近くなると、怒っているような川波の音が聞えてきた。雪解けの山々からおしだしてきたアルプス・ラインの流れが、さわがしく波立ちながら、一キロほど向うで暗いボーデン湖に注ぎこんでいた。

「ちょっとえらいな。相当あるぜ。倫子さん、大丈夫か」

「あたしなら、大丈夫。二十五メートルのプールより、いくらか長いくらいなもんでしょう。二キロもある湖水を、泳ぎ渡るひとだっているんだから」

倫子はさっさと下着だけになった。

倫子が水に入ると、すぐ和田がつづき、二人は肩をならべて川の中流へ泳ぎだした。

遠い山から出てきた新鮮なはげしい水は、油断のならない力で、二人を湖水のほうへ押し流そうとする。

和田は瑞西でさえあれば、どこの岸についてもいいつもりで、暢気にやっていたが、倫子は町の灯に目標をたて、是が非でもそこへ泳ぎつこうと、躍起となっているふうだった。