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しみんのせいかつとかがく
市民の生活と科学
宮本 百合子
「科学ペン」1940(昭和15)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,385 字 · 9 页
科学が科学としての評価に立ち得ないということは文化の悲惨であると思う。
昔アインシュタインが日本へ来たとき、民衆の歓迎ぶりを瞠目して、自分がこのような歓迎をうけるのは、日本の国民全体がそんなに物理学の原理へ興味を抱いていることなのかどうかと、深いおどろきと疑問に陥った感想を語っていた。これも意味ふかく、折にふれての記憶に甦って来る印象である。
それから又或る座談会の席で、日本の婦人で科学の仕事に入った人々は明治以来例えば医者になるが医学をやるという人はないという事実を聞いた印象も心に刻みつけられた。
明治の初め先ず普及したのが英語であったような関係で、若く急速に歩み進んだ日本で、婦人の医者はあって、病理などやる人のないということは私たちにもよく肯ける。消極の意味で肯ける。おくれている中国の状況を見ても、そこには女医は急速に増して来ていて、併し女の病理学者は一人も知られていない。
文学における文芸理論と作品とのようなもので、一方だけでは不具なのだと思う。正当な成育力がないことの左証である。科学上の原理の発展への努力、その努力によってもたらされた成果の後を応用的な部面が跟いてゆくのは必然であって、日本の科学性というものは、歴史との関係から見てもこの意味でどの程度自給自足であるのか。