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おびひろまで

帯広まで

林 芙美子

「文藝春秋」1936(昭和11)年11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,656 字 · 28 页

青空文庫

作曲も出来た。眉目秀麗だったので、踊子達に九太さん九太さんと云って愛されたが、九太は遠くの方で眼を細めている伊代の為にピアノを叩いたり、小さな曲を作ったりして、自らミゼラブルな気持ちに溺れていた。伊代は綺麗な娘ではなかった。肉づきはよかったが、顔はタヒチの女のように脣が厚く大きく野性的な表情で、気がむくと虎やライオンの真似をして稽古場で朋輩を笑わせていた。――或る雪の降った夜、稽古を済ませると、踊子達が帰り支度を始めている後から、九太は元禄袖の八ツ口に手をつっこんで呆んやり廊下を歩いている伊代を呼び止め、家まで送って行こうと云った。二人は灯の消えた仲店を抜けて雷門を出ると、屋台店に添って雪の中を田原町の方へ歩いて行った。公園の中から田原町までの短い間に、九太は伊代の身上のあらましを聞くことが出来た。伊代には父親も母親もなかった。兄が一人、姉が一人あって、いまは世帯を持って国旗を商って居る兄の家の食客をしていると云っていた。時々風が出て粉雪が伊代の円い鼻の上にとまると、伊代は脣を尖がらして鼻の上の粉雪をぷっと吹いた。それが九太には可憐であった。伊代は歩きながら、「私、帰っても帰らなくても叱られないの、私、犬だの猫だのみたいなのよ。