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じょうしき
常識
豊島 与志雄
「改造」1934(昭和9)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,237 字 · 33 页
まだ夕方には間のある明るいうちで、他に客はなかった。お幾も料理番も店の有様も、以前と変りはなかった。そして私たちが、そういう場所にありがちな事もなげな気安さで、七年間の年月をとびこして話をしてると、帳場の障子蔭から顔をだしてじっと私の方を眺めてる日本髪の少女があった。私が見返していると、その眼がしずかに涙ぐんで、美しくぱっとまばたきをした。それがみよ子だった。背丈がぐっとのびて、子供のままの顔に、眼だけが大人になりかかっていた。お幾に呼ばれて出てきたが、飛びつきたいような親しみを見せた躊躇の素振だった。ただそれだけのものが、東京で私がふれた一番深い感情だったのである。
それから私は、食事をしに或は酒をのみに、しばしばみますへ行くようになった。お幾とまじめな話をすることもあった。みよ子は小さいときから、三味線と踊りを仕込まれていたが、見どころがあると土地の姐さんのすすめで、芸妓になることになっていた。お酌から出したいのだがいろいろ都合もあり、もう一年たって十七になったら一本でつきだすつもりだと、そんなことをお幾は、以前その土地の花柳界になじんでいたことのある私へ、話とも相談ともつかずもちかけてくるのだった。