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まぼろしのかなた

幻の彼方

豊島 与志雄

「中央公論」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 41,763 字 · 84 页

青空文庫

」

「いいえ。」

髪の生え際が薄く、額に一脈の淋しさを浮べ、頬の皮膚が蒼白く透き通って見えた。それが美しかった。

枕頭にじっと坐ってるのが変だったので、彼はよく縁側に屈み込んで、庭の黒い土を見守った。秋子が起き上れるようになりさえすれば、それでいいとも思った。

「幾日すれば起き上れるんだい。」

「三週間だそうですけれど、そんなに寝てるのは退屈ですわ。」

その三週間が半分以上過ぎ去った頃から、秋子は軽い下痢を催した。ビオフェルミンをのんだり食物の用心をしたが、何の効もなかった。然し大したことではなさそうだった。

或る日、順造が会社から帰って来ると、女中が頓狂な顔をして彼を玄関に迎えた。

「奥様が大変でございましたよ。」

彼ははっとした。

秋子はうとうと眠っていた。彼が枕頭に坐り込んでも眼を覚さなかった。彼はその額に手をやった。燃えるように熱かった。驚いて手を引込める途端に、彼女は眼を開いた。

「どうしたんだい?」

彼女はぼんやりした眼付で彼の顔を探し求めた。それから微笑んだ。

「あなたでしたの。……私夢をみていた。」

「熱があるじゃないか。」

「そう?」

彼女はその朝から腹が激しく痛んだそうだった。