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まぼろしのかなた

幻の彼方

豊島 与志雄

「中央公論」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 41,763 字 · 84 页

青空文庫

俺は竜子を愛してるのか。それとも憎んでるのか。……然し俺のうちには、何等のはっきりした意志も感情もない。凡てが腐爛しきった泥濘だ。その泥濘の中で、俺が本当に愛してるのは秋子一人だ。ああ秋子、秋子!

亡き秋子に対して、竜子は一体何ものなのか。そして、秋子と俺との只一人の子の順一に対して、竜子の腹の中に宿ってるものは、一体何ものなのか。……いや何ものだろうと構やしない。今に、今に……。そうだ、腹がむくむくと脹れ上ってきて、セルロイドの人形の腹のように張りきって、叩いたらぽこんぽこんと音を立てて、どうにも始末におえなくなって……。

ああ秋子! お前は……。

「どうなさいましたの?」

薄い反り返った唇をぽかんと開いて、竜子は一心に彼の方を見つめていた。彼はそれをじっと見返してやった。

「真蒼なお顔をして……。」

云いさして彼女は俄に口を噤んだ。目玉の表面にぎらぎらした輝きが浮んで、顔全体からすっと血の気が引いていった。五秒……七秒……石のような沈黙が続いた。と彼女はふいにはらはらと涙をこぼしながら、それを自分でも知らないらしく、彼を見つめたまま口走った。

「あなたは、私を憎んでいらっしゃるのでしょう。