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かれはむかしのかれならず

彼は昔の彼ならず

太宰 治

「世紀」1934(昭和9)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 28,274 字 · 57 页

青空文庫

黒い毛のショオルにくるまって荒い飛白のコオトを着ていた。白い頬がいっそう蒼くすき透って来たようであった。ちょっとお話したいことがございますから、一緒にそこらまでつきあってくれというのである。僕はマントも着ず、そのまま一緒にそとへ出た。霜がおりて、輪廓のはっきりした冷い満月が出ていた。僕たちはしばらくだまって歩いた。

「昨年の暮から、またこっちへ来ましたのでございますよ。」怒ったような眼つきでまっすぐを見ながら言った。

「それは。」僕にはほかに言いようがなかったのである。

「こっちが恋いしくなったものですから。」余念なげにそう囁いた。

僕はだまりこくっていた。僕たちは、杉林のほうへゆっくり歩みをすすめていたのである。

「木下さんはどうしています。」

「相変らずでございます。ほんとうに相すみません。」青い毛糸の手袋をはめた両手を膝頭のあたりにまでさげた。

「困るですね。僕はこのあいだ喧嘩をしてしまいました。いったい何をしているのです。」

「だめなんでございます。まるで気ちがいですの。」

僕は微笑んだ。曲った火箸の話を思い出したのである。それでは、あの神経過敏の女房というのはこのマダムだったのであろう。