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かいそう

快走

岡本 かの子

「令女界」1938(昭和13)年12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,273 字 · 11 页

青空文庫

翌日道子はアンダーシャツにパンツを穿き、その上に着物を着て隠し、汚れ足袋も新聞紙にくるんで家を出ようとした。

「どこへ行くんです、この忙がしいのに。それに夕飯時じゃありませんか」

母親の声は鋭かった。道子は腰を折られて引返した。夕食を兄弟と一緒に済ました後でも、道子は昨晩の駈足の快感が忘れられなかった。外出する口実はないかと頻りに考えていた。

「ちょっと銭湯に行って来ます」

道子の思いつきは至極当然のことのように家の者に聞き流された。道子は急いで石鹸と手拭と湯銭を持って表へ出た。彼女は着物の裾を蹴って一散に堤防へ駈けて行った。冷たい風が耳に痛かった。堤防の上で、さっと着物を脱ぐと手拭でうしろ鉢巻をした。凜々しい女流選手の姿だった。足袋を履くのももどかしげに足踏みの稽古から駈足のスタートにかかった。爪先立って身をかがめると、冷たいコンクリートの上に手を触れた。オン・ユアー・マーク、ゲットセッ、道子は弾条仕掛のように飛び出した。昨日の如く青白い月光に照らし出された堤防の上を、遥かに下を多摩川が銀色に光って淙々と音を立てて流れている。

次第に脚の疲れを覚えて速力を緩めたとき、道子は月の光りのためか一種悲壮な気分に衝たれた――自分はいま溌剌と生きてはいるが、違った世界に生きているという感じがした。