轻松读懂日语经典作品
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しあんのはいぼく
思案の敗北
太宰治一边自嘲一边追问:人真的能爱别人吗?还是只能像但丁那样冷冷旁观?读着读着,你会忍不住想起自己那些没说出口的真心话。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 2,541 字 · 6 页
人は、人を救うことができない。まことか?
何を書こうか。こんな言葉は、どうだ。「愛は、この世に存在する。きっと、在る。見つからぬのは、愛の表現である。その作法である。」
泣き泣きX光線は申しました。「私には、あなたの胃袋や骨組だけが見えて、あなたの白い膚が見えません。私は悲しいめくらです。」なぞと、これは、読者へのサーヴィス。作家たるもの、なかなか多忙である。
ルソオの懺悔録のいやらしさは、その懺悔録の相手の、(誰か、まえに書いたかな?)神ではなくて、隣人である、というところに在る。世間が相手である。オーガスチンのそれと思い合わせるならば、ルソオの汚さは、一層明瞭である。けれども、人間の行い得る最高至純の懺悔の形式は、かのゲッセマネの園に於ける神の子の無言の拝跪の姿である、とするならば、オーガスチンの懺悔録もまた、俗臭ふんぷんということになるであろう。みな、だめである。ここに言葉の運命がある。
安心するがいい。ルソオも、オーガスチンも、ともに、やさしい人である。人として、能うかぎり、ぎりぎりの仕事を為した。
私は、いま、ごまかそうとしている。なぜ、ルソオの懺悔録が、オーガスチンのそれより世人に広く読まれているか、また読まれて当然であるか。