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おそろしきさくご
恐ろしき錯誤
江戸川 乱歩
「新青年」博文館、1923(大正12)年11月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 23,075 字 · 46 页
どうかした都合で、その場に居合せた男が、女の一家が焼け出される有様を小気味のいいことに思って眺めている。ふと見ると、女が『坊や、坊や』と叫びながら家の前をうろついている。男の頭にあるすばらしい機智が浮ぶ。このチャンスを外してなるものかと思う。
男はやにわに女の側に近寄って、催眠術の暗示でもかける様に、『坊ちゃんはね、奥座敷に寝ていますよ』と告げる。そして、す早くその場を逃げて了う。何という驚くべき、インジニアスな復讐だろう。ふだんなら、誰だってこんな暗示にかかりはしないだろう。併し、気も狂わんばかりに、子供の身の上を気遣って逆上している、あの際の母親を殺すには、それは飛び切りのトリックだった。僕は忿怒に燃え立ちながらも、その男のすばらしいウイットに感心しない訳には行かなかった。
僕は今まで、絶対に証拠を残さない様な犯罪というものが、あり得ようとは思わなかった。だが、その男の場合はどうだ。どんな偉い裁判官だって処罰のしようがないではないか。死人の外には誰れも聞かなかったであろうその囁きが、何の証拠になるだろう。それは、その男の行動を怪しんで、記憶に留めている幾人かの人はあるかも知れない。