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よく

慾

豊島 与志雄

「改造」1932(昭和7)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,324 字 · 33 页

青空文庫

立去るしおを失ってぐずついてるうちに、依田につかまって、自動車に乗ることになった。そうなると、多少の好奇心も湧くものだ。

五時前なのに、冬の日はもう沈みかけていた。依田と僕と千代次と、待合の女将らしい六十年配の女との、四人だ。自動車のなかは寒くて薄ぼんやりしている。依田と女将だけに饒舌らしておいて、僕は執拗に黙っていた。着いたのは、同じ土地ではあるが、喜久本よりは大きな家の立派な室だ。室内はもう暖めてあった。それでも、酒だ、食事だ、ふく子か初枝か若いのを一人、洋服と褞袍の着換え、などと依田は忙しかった。そして席に落付いたかと思うと、また立ち上って洋服のポケットを探ってきた。これ、今日の出来栄えのお祝いだ。その、差出された小さな紙包を、千代次が開けてみると、赤い革の楊子入だ。いつも楊子を持ってたためしがないじゃないか、不用意な奴だな。そして依田ははっはっは……と笑っている。

そうなると、僕もやけに腰を落付けてしまった。やって来たふく子は僕には初めてのおとなしい妓だったし、依田が得意に与太をとばしてるので、千代次もふく子もその方にもって行かれて、僕は黙って酒をのむことが出来た。