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あるさっかのやくび

或る作家の厄日

豊島 与志雄

「群像」1949(昭和24)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,284 字 · 21 页

青空文庫

いざとなったら、おれのところへ飛び込んで来て、同棲生活をするという、それだけの勇気もないし、てんで、そのようなこと考えてもみないらしい。彼女は旅を億劫がり、結婚後、主人の任地へも行ったことがなく、いつも東京の邸宅に暮していたらしく、避暑とか避寒とかの旅もしない。おれのところへ飛び込んで来るなどということは、旅行以上の冒険なのだ。

だが、このおれにしても、物ぐさなことにかけては、彼女と変りない。彼女との同棲生活など、おれも考えたことはない。嘗て妻と喧嘩別れをし、正式に離別した時は、むしろさっぱりした気持ちだった。家の中で一定の地位を持ち権力を持つ女性との生活は、一度だけでもう沢山だ。身辺の多少の不便さなどは、考えようでどうにでもなる。現に、女中と本間さよ子とがいるだけで、何の不便も感じない。

然し、貧乏なのは、これは困る。金があればありったけ、いつも酒を飲んでしまうのが、悪い癖だ。あとは後悔の連続である。そしてこの後悔という奴、霧のようなもので、たとえあたり一面に立ち罩めようと、再び金が出来れば、音もなく色香もなく消え失せてしまい、何等の痕跡も残さない。