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あるおんなのしゅき

或る女の手記

豊島 与志雄

「婦人倶楽部」1920(大正9)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,447 字 · 37 页

青空文庫

けれどもお坊さんの姿は、一度も見えなかった。私は訳の分らない安心を覚えた。初めは逢えないのを悲しんでた私が、僅か一月の間に、逢うのを恐がるようになったのである。それは、暫くでも忘れかけたのを済まなく思うからでもなく、愛が起りはすまいかと気遣ったからでもない。此度また毎日逢うようになったら、それは何か新らしい不安な形式――愛ではない――を取りそうに、思えたからである、それが自分の心に、何かの煩いを齎しはすまいかを、恐れたからである。

一度もお坊さんの姿を見かけないで、一種の安心を覚ゆると共に、私は本当にお坊さんを忘れていった。その上、一月二月と過ぎて、時は春になりかかっていた。ああ十七の春、私はどんなに晴々しい心地であったか! それは、うち晴れた大空の下に、広い野原の真中に、一人つっ立っているようなものであった。何のこだわりもなかった。踊りたかった、走りたかった、空高く翔りかけた。空想と現実とが一つに絡み合って、美しい夢の世界を拵え初めていた。

それなのに……。

桜の花が散って青い葉になろうとしてる頃、私が四年級になって間もなくの頃……私はその日をはっきり覚えている……四月二十一日! その午後、私はまた彼の姿を――もうこれからは彼と呼んだ方が私には自然なのだ――彼の姿を、お寺の中に見出したのである。