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あるおとこのしゅき
或る男の手記
豊島 与志雄
「中央公論」1924(大正13)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 43,279 字 · 86 页
松本は暫くして、自ら進んで云い出した。
「私は河野さんに呼ばれて全部の話を聞かされました。そして一日中考えてから、是非とも光子さんと結婚する気になったのです。あの女の生一本な一徹な性格がひどく私の心を惹きつけたのです。今ではもう恋してると云ってもいいかも知れません。」
私は俄に顔を上げた。
「それで、君は彼女を探そうというのか。」
「いえ、探しはしません。今探し出して捕えるのは却って悪いと思います。私はただ待ってるつもりです。あの女は屹度私の所へ戻ってきます。半年か一年か二年か、それは分りませんが、鍛えられた心で必ず私を訪ねてくると信じています。……そう云えばまた、理想主義者だとあなたに笑われるかも知れませんが、私はどこまでも理想主義で押し通してみます。」
彼の言葉の調子からかまたはその表情からか、どちらからとも分らなかったが、その時私は心に電気をでも受けたような感じを覚えた。
「君は……僕に意趣晴しをするために来たのか。」
「いいえ、ただこういう風になったとお知らせに上っただけです。」
そして私達はじっと眼と眼を見合った。ぴたりとぶつかった視線で力一杯に押合ってると、やがて彼の眼の光がむき出しになってきた。