轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
ぎじゅつのてつがく
技術の哲学
戸坂 潤
「技術の哲学」時潮社、1933(昭和8)年12月13日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 84,443 字 · 164 页
* 逆に知能が一つの技能であるという点も考えて見なければならぬ。と云うのは、知能なるものは単なる素質というようなものではないので、習得され使用される処の具体化された能力を意味しなければならぬからである。「技術と知能」の項参照。
技術の主観的存在様式が知能にぞくすると云っても、夫は何も技術を特に何か観念的なものと見たということにはならぬ。如何に主観的な存在様式に就いてであると云っても、問題が技術なのだから、明らかに客観的な存在物に外ならない処の機械・道具等々に対して交渉を持つ点で、技術は、本格的に云って、元来物質的技術であることは断わるまでもない。今はこの物質的技術の主観的存在様式としての技術が、知能だと云ったのである。
だが、この本格的な物質的技術に対して、一応――無論矢張り主観的存在様式の下に於けるものとしての――観念的技術と云ってもいいものを区別しなければならないのは事実である。と云うのは、丁度臨床医が診断や手術をすると同じに、又数学者が様々な組織的な諸方法によって複雑な計算をすると同様に、文学者は工夫された一定の描写方法と構成方法とを用いて制作し、理論家は一定に鍛錬された範疇機構を用いて分析するのであるが、こうした観念処理の手法や方法も亦、不断の反覆・熟練・改善・等々に基いて初めて得られるような、