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とらわれびと

捕われ人

小川 未明

「文章世界」1908(明治41)年11月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,311 字 · 9 页

青空文庫

その歌は、浮世で聞ける歌でない。けれどその歌の調子は懐しい耳に聞き覚えのある調子である。よく里に聞き、海に聞き、また山に聞くことの出来る調子である。捕われた男はこの警察権も行届かない、人の知らない、山奥に独り坐って僅かにこの歌の調子を聞いて、そぞろに人の住む村里を恋いしく思った。ただ思うより他、再び帰ることが出来ぬ身である。若しこの歌が止んだなら全く浮世と繋がる一筋の糸も断ち切られてしまうので、悪むべき敵ながら、その歌う歌の調子に涙ぐまれた。かくて物憂い眸を地上から上げて見ると、小男は鉞を磨ぎながら歌いつづけている。

岩に腰を下した羅紗帽は、谷の彼岸を茫然と見詰ていた。石が転がって、木々が紅葉している。鉞を研ぐ前に立った鼻筋の太いのは熱心に鉞の物凄く光るのを見守っていた――晩方の冷気が膚に浸みて、鼻から出る息が白く凝った。この際は三人とも等しく歌に心を取られていたらしい。小男はつづけて歌った。

冬の霜よりしんしん浸みる 利刃に凝った月の影 触れや手頸が落ちそうに 色もなけれや味もなく……

と細く、物哀れに引いて消えたかと思うと力なげに情の籠った節でつづける。