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りゃくだつせられたるおとこ

掠奪せられたる男

豊島 与志雄

「新潮 第二十九卷第三號」新潮社、1918(大正7)年9月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 23,398 字 · 48 页

青空文庫

私一人でほんとに退屈だわ。この頃余り来ないのよ。(秀子は伊藤のことを云うのに、いつも主格をぬきにして何気なく云ってのけるのであった。)あした来て下さらないこと。御馳走するわ。」

「あしたは用がありますから。またそのうち来ます。」

「いいわよ。あした待ち伏せしてるから。」そして彼女は急に調子を変えて、早口に云った。「あなた私を堕落した女だと思っていらっして? 見捨ててはいやよ!」

山田がその時何か云おうとするのを彼女は押っ被せるようにして云った。

「おほほ、じょうだんだわ。ではおやすみなさい。またお待ちしてるわ。」

門口を押し開いてはいってゆく秀子の耳朶がまた、山田の眼の中に刻まれた。山田はぼんやりして足を返した。と急に、自分のうちの何物かが彼女と共に奪い去られたような気がした。彼女と別れて自分一人になると、自分の影の薄いことが痛切に感じられて来た。ただ何時からそうなったか、彼には自分でも分らなかった。然し次第に自分のうちのものが彼女に蚕食されてゆくのを彼は感じた。それは単に趣味の上のことばかりではなかった。彼はやがて驚いて眼を見張らなければならなかった。