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りゃくだつせられたるおとこ
掠奪せられたる男
豊島 与志雄
「新潮 第二十九卷第三號」新潮社、1918(大正7)年9月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 23,398 字 · 48 页
それこそ、きめる前によく考えてみなくてはね。」
「今に結婚を申込むかも知れませんよ。然し私もその前によく考えてみなければ。」と山田も戯談にまぎらした。
「でも私本当は一人ぽっちよ。もう両親のことなんかすっかり忘れてしまったの。許婚の男のことも、種々な面白いことやらつらいことも。そして今は人の妾の身分だわ。けれどもそれもすぐに忘れてしまうわ、屹度。あなたのことなんかも、後には忘れてしまうでしょうよ。過去は過去だってあなたいつか仰言ったわね。過ぎ去ってしまったことまでも引ずって歩いていたら、息が切れて倒れるばかりだわ。そして現在のことだって、いつかは過去になってしまうんですもの。いつかは忘れなければならないわ。」
秀子にとっては、山田の所謂「過去は過去なり」ということもそのまま文字通りに真であるらしかった。もう彼女にとっては、「現在のために」という前提は無用であった。何故なら、現在もやがては過去になるべきものだから。そして彼女がその徹底した理論を本能的に何気なく云ってのけるのを、山田は愚鈍な賛嘆のうちにぼんやり聞いていた。彼の頭の中にはただもやもやとした霧が立ち罩めていた。