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ぎたい

擬体

豊島 与志雄

「新潮」1952(昭和27)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,945 字 · 25 页

青空文庫

その前を青木は通りすぎて、次の扉の方へ行った。その扉には、石村という金字がはいっていた。青木は小首を傾げた。三日前には無かった文字である。ちょっと佇んでから、彼はノックした。女秘書の小島が扉を開いた。青木の姿を見て、おや、という表情をした。青木は構わず言った。

「石村さんはおいでですか。」

「はい、おいでになります。」

「来客ですか。」

「いいえ。」

「それでは、取次いで下さい。」

青木は中にはいって待った。やがて、小島に案内されて、社長室に通った。石村は窓際の事務机の上を何か片附けて、立ち上った。

「どうしたんだ。あちらからはいればいいじゃないか。」

「いえ、今日は、会社に来たのではなく、あなたにお目にかかりに来たのです。」

石村はじっと青木の顔を見つめた。

「扉にお名前がはいりましたね。」

「うむ、いろいろ客が多いものだからね。まあ掛け給え。」

それだけの応対が、青木にしては実は強硬な態度に出たつもりだったが、少しも手応えがなく、自分の方が滑稽にさえ思えてきた。彼はいきなり内ポケットから辞職願を取出して、石村に差出し、それから椅子に掛けた。石村は紙片を一読して、相手の顔にぴたりと吸いつくような視線を投げた。