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はせくらじけん
支倉事件
甲賀 三郎
「読売新聞」1927(昭和2)年1月15日~6月26日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 204,697 字 · 406 页
「おや」
と云って立止まった。
そこには支倉喜平がニコ/\しながら仔んでいたのだった。
「貞や、わしはさっきからお前を待っていたのだがね」
支倉は驚いている彼女の顔を眺めながら、
「お前の病気が早くよくなるように、もっと好いお医者の所へ連れてってやろうと思っているのだが、一緒にお出で」
貞と云う娘は既に度々云った通り当時僅に十六歳、それに温柔な物をはっきり云い切る事の出来ない、見ようによっては愚図とも云える内気な娘だったから、旧主の支倉の云う事ではあるし、恐ろしい企みがあるなどと云う事は少しも知らないから、いやだと振り切る事が出来ず、無言で支倉に従ったのだった。
支倉は先ず彼女を安心させる為に、赤坂の順天堂病院へ彼女を連れ込んだ。然し、診察を受けさすと云う意志のない彼は、貞をゴタ/\した待合室に暫く待たせて置いた揚句、今日は病院の都合が悪いからと云って、再び外に連れ出した。それから彼は少女を新宿に伴った。新宿で彼は貞と共に或る活動写真館に這入り、時の移るのを待ったのだった。恐ろしい魔の手が背後に寄って、刻々に死の淵に導いている事を夢にも知らず、ラヴシーンの映画を子供心に嬉々として眺めていたとは、何たる運命の皮肉であろうか。