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ぶんがくにかんするかんそう
文学に関する感想
宮本 百合子
「プロレタリア文学」日本プロレタリア作家同盟機関誌、1932(昭和7)年12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,671 字 · 17 页
になろうと努力」したが、その努力が「階級闘争の新たな段階の中で」されず「文学の党派性のかわりに、文学の純粋性が持ちこまれている」結果になったことを指摘している。
けれども、この論文には、筆者自身が生活と思考との中でまだ十分にこね切っていない、種々の理解がやや皮相的に持ち出されている。たとえば「第一の自己批判」の部でこういう部分がある。「ぼくはプロレタリア作家の一人として政治と文学という二つのポールのあいだをぐらついていた」という林の文章を引用し「ぐらつきと自卑の原因はぼくが文学をただしく理解していなかった」云々と続く林の思惟の発展を批判するにあたり、亀井は今はただしく理解したという林のいう具体的な内容の検討をぬきに「この言葉の限りでは彼のいうことは正しいのである」と先ず断定している。然し、林が「正しく」プロレタリア文学を理解したと思っていたその理解がただしいものでないことこそ筆者をして「偏向に対して」という一項を書かしめているのである。
「第二の自己批判」のところで、林の日本のブルジョア文学の発達に関する意見がとりあげられている。「日本におけるルネッサンスがプロレタリア・ルネッサンスでなければならぬ」