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しんぱん ほうろうき

新版 放浪記

林 芙美子

「女人藝術」1928(昭和3)年10月号~1930(昭和5)年10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 247,330 字 · 497 页

青空文庫

夕方から雪が降って来た。あっちをむいても、こっちをむいても旅の空なり。もいちど四国の古里へ逆もどりしようかとも思う。とても淋しい宿だ。「古創や恋のマントにむかい酒」お酒でも愉しんでじっとしていたい晩なり。たった一枚のハガキをみつめて、いつからか覚えた俳句をかきなぐりながら、東京の沢山の友達を思い浮べていた。皆どのひとも自分に忙がしい人ばかりの顔だ。

汽笛の音を聞いていると、私は窓を引きあけて雪の夜の沈んだ港をながめている。青い灯をともした船がいくつもねむっている。お前も私もヴァガボンド。雪が降っている。考えても見た事のない、遠くに去った初恋の男が急に恋しくなって来た。こんな夜だった。あの男は城ヶ島の唄をうたっていた。沈鐘の唄もうたった。なつかしい尾道の海はこんなに波が荒くなかった。二人でかぶったマントの中で、マッチをすりあわして、お互に見あった顔、あっけない別離だった。一直線に墜落した女よ! と云う最後のたよりを受取ってもう七年にもなる。あの男は、ピカソの画を論じ、槐多の詩を愛していた。私は頭を殴りつけている強い手の痛さを感じた。どっかで三味線の音がしている。