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しんぱん ほうろうき

新版 放浪記

林 芙美子

「女人藝術」1928(昭和3)年10月号~1930(昭和5)年10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 247,330 字 · 497 页

青空文庫

――社へ行くと、まだ相棒さんは見えなくて、若い重役の相良さんが一人で、二階の広い重役室で新聞を読んでいた。

「お早うございます。」

「ヤア!」

事務服に着かえながら、ペンやインキを机から出していると、

「ここの扇風器をかけて。」と呼んでいる。

私は屑箱を台にすると、高いかもいのスイッチをひねった。白い部屋の中が泡立つような扇風器の音、「アラ?」私は相良さんの両手の中にかかえられていた。心に何の用意もない私の顔に大きい男の息がかかって来ると、私は両足で扇風器を突き飛ばしてやった。

「アッハハハハハいまのはじょうだんだよ。」

私は梯子段を飛びおりると、薄暗いトイレットの中でジャアジャア水を出した。頬を強く押した男の唇が、まだ固くくっついているようで、私は鏡を見ることがいやらしかった。

「いまのはじょうだんだよ……」

何度顔を洗ってもこの言葉がこびりついている。

「怒った! 馬鹿だね君は……」

ジャアジャア水を出している私を見て、降りて来た相良さんは笑って通り過ぎた。

昼。

黒い眼鏡の夫人と一緒に場の中へ行ってみる。高いベランダのようなところから拍子木が鳴ると、若い背ビロの男が、両手を拡げてパンパン手を叩いている。