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しんぱん ほうろうき

新版 放浪記

林 芙美子

「女人藝術」1928(昭和3)年10月号~1930(昭和5)年10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 247,330 字 · 497 页

青空文庫

切ない悲しさだ。女の業なのだと思う。私の動脈はこんなひとにも噴水の様なしぶきをあげて来る。吉田さんは慄えて沈黙っていた。私は油絵具の中にひそむ、油の匂いをこの時程悲しく思った事はなかった。長い事、私達は情熱の克服に努めていた。やがて、背の高い吉田さんの影が門から消えて行くと、私は蚊帳を胸に抱いたまま泣き出していた。ああ私には別れた男の思い出の方が生々しかったもの……私は別れた男の名を呼ぶと、まるで手におえない我まま娘のようにワッと声を上げて泣いているのだ。

(六月×日)

今日は隣の八畳の部屋に別れた男の友達の、五十里さんが越して来る日だ。私は何故か、あの男の魂胆がありそうな気がして不安だった。――飯屋へ行く路、お地蔵様へ線香を買って上げる。帰って髪を洗い、さっぱりした気持ちで団子坂の静栄さんの下宿へ行ってみた。「二人」と云う私達の詩のパンフレットが出ている筈だったので元気で坂をかけ上った。窓の青いカーテンをめくって、いつものように窓へ凭れて静栄さんと話をした。この人はいつ見ても若い。房々した断髪をかしげて、しめっぽい瞳を輝かしている。夕方、静栄さんと印刷屋へパンフレットを取りに行った。