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ひめくり

日めくり

壺井 栄

「群像」1963(昭和38)年11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,884 字 · 34 页

青空文庫

「虫が鳴いたりすると、よけいかなしい」

妻に聞けというのだろうが、重ねてのつぶやきに、妻はふっとおかしさのようなものが涙と一しょにこみ上げてきた。いかにも実感のこもったそのつぶやきを笑う気はなかったのだが、四十年もつれそってきたその永い年月に、ついぞ聞いたこともない感傷的な言葉が、日頃はそんな言葉を使わないたちの夫の口から出てきたのがおかしかったのだ。くそまじめであるだけに、夫にしては実感そのままにちがいない。妻はそれで気もちがほぐれ、スイッチをいれに立った。

「かわいそうだった」

あかりに背を向けて涙をふきながら、

「彼の前では、うっかり涙もこぼせないんですもの。思いつきのうそばっかりならべ立てて気休め云って――」

「少しは病気のこと、気がついてるんじゃないのかね」

「つかない筈がないわ。でも気のつかないふりをしてるんじゃないかしら」

「ふーん」

「口がくさっても、云えないものね。本人ももしやと思っても口に出せないのね」

老夫婦はさっき方、胃潰瘍のあとが思わしくなくて、二度めの入院をしている娘婿を病院に見舞ってきたのだった。そして朝に晩に病勢の深まるらしい様子に気を重らしていた。