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めいじのごじゅっせんぎんか
明治の五十銭銀貨
服部 之総
「社会労働研究 創刊号」1954(昭和29)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,448 字 · 15 页
当年の外字新聞の計算によれば、開港第一年度の日本輸出総額は英貨に換算して百万ポンド、そのうち現実の商品――茶と生花――は二十万ポンド、のこり八十万ポンドの大部分は貴金属すなわち黄金だったという。八十万ポンドは小判にして約百万両にあたっている。
当時国内市場に流通していた金貨は、保字金約三百六十三万両、古二朱金八百十二万両、安政二分判二百三十七万両、正字金九万両、合計一、四二一万両と推定されているから、連日の金貨輸出がどんなに日本をみすぼらしい金欠国にしたか、しかもそれが物一つ買わぬタダ金の輸出であったことを思えば何人も民族の憤りを新たにするに違いない。
さて明治四年六月といえば、貿易開始後あしかけ十四年めにあたっている。桜田門事変から戊辰戦争にいたる大小幾多の政争や内乱をそのあいだにさしはさんで、混乱しきっている日本幣制を、金銀両本位の円制度に切替るというはなれわざが、どうしてあの貧乏政府にできたかという問題である。
イギリス公使パークスが京都政権の支持者としてあらわに立現われたのは、明治元年九月二十一日(会津落城の一日まえにあたる)、横須賀造船所を差押えたフランスの債権を解除するための五十万円を横浜のイギリス系オリエンタル・バンクから新政権に融通したのがはじまりである。