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はる
春
豊島 与志雄
「文芸春秋」1926(大正15)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,464 字 · 21 页
「勝手にするがいいわ。あたしはキスを切り売りなんかしませんからね。好きな人にはただで許してやるわ。だけど、あなた方なんかには御免だわ。」
「こいつはお手酷しいね。まあそう云わないで、どうだい僕に一つ。」
「僕にも一つ。」
「俺にも一つ。」
「はははは。」
反応がなくて、手持無沙汰になって、出すぎた冗談が自分に戻ってきて、彼等は思い出したように杯を取り上げる。
「おい、お酌くらいはいいだろう。」
「はーい。」
ばかに大きな声を出して、お喜代は顔の筋肉一つ崩さないで銚子を取り上げる。
「君がそうして怒った顔は、また別な趣きがあるね。」
「まあー、お止しなさいよ。」
打つ真似をして、とうとう笑い出してしまう。それにつけこんで四方から、好奇な眼がぬうっと伸び出す。押しあいへしあい、前へ前へと出ようとしてる気色である。
「止せ、下らないことで一人の女をからかうのは。」
胸の鬱積が高まってきて、和田弁太郎は思わずわりこんでゆく。皆その方を振返る。で彼はぎくりとするのを、むりに踏みこたえる。
「キスくらいが何だい、下らない。」
一同の間にちらちらと目配せが行き渡る。
「ほう、和田にしちゃあ驚いたな。