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しょうわのじゅうよねんかん
昭和の十四年間
宮本 百合子
「日本文学入門」日本評論社、1940(昭和15)年8月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 35,356 字 · 69 页
の感想、情緒を映すことは不可能であった。そのような客観的現実としての民衆は、かつて「民衆は客観的には存在していない」といわれた時から、文学の対象として生かされ得ないめぐり合わせに立たされたのである。
それらの理由によって、当時の報告文学は、報告文学本来の客観的な事実の記録とは全く遠いものとして現れた。即ち、それぞれの筆者の主観と感情の傾向に支配されて、ある文章は無垢な天の童子の進軍の姿のように、ある文章は漢詩朗吟風な感傷に於て書かれた。そして、そのいずれもが等しく溢れさせているのは異常な環境のために一層まざまざとした筆者の個性の色調であった。
当時文学が新しい素材の源泉とリアリズムの深化の契機を報告文学に求めようとしたことと、そこに見出された不満との関係は、その数年来文学が転々して来た動向から見て必然な結果のあらわれであったといえよう。報告文学がそのものとして独自の人間記録の価値をもって文学を豊かならしめ得るためには、一方に文学の各ジャンルの方法が芸術の自主性において確立されていなければならない。当時のように、文学全体が帰趨を失い自主的な対象と方法とを見失っていたような時期、そこにある現実の特殊さへの関心と、政論的な作家の行動性から報告文学へとりつかれたとしても、そこに文学として得るものが多くなかったの