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ばんきく

晩菊

林 芙美子

「別冊文藝春秋」文藝春秋、1948(昭和23)年11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,998 字 · 32 页

青空文庫

ここは女の家で、近所がうるさいですからね」「近所? へえ、そンなもの君が気にするとは思わないな」「気にします」「旦那が来るの?」「まア! 厭な田部さん、私、ぞっとしてしまってよ。そンなこと云う貴方ってきらいッ!」「いいさ、金が出来なきゃ、二三日帰れないンだ。ここへ置いて貰うかな……」きんは、両手で頬杖をついて、じいっと大きい眼を見はって田部の白っぽい唇を見た。百年の恋もさめ果てるのだ。黙って、眼の前にいる男を吟味している。昔のような、心のいろどりはもうお互いに消えてしまっている。青年期にあった男の恥じらいが少しもないのだ。金一封を出して戻ってもらいたい位だ。だが、きんは、眼の前にだらしなく酔っている男に一銭の金も出すのは厭であった。初々しい男に出してやる方がまだましである。自尊心のない男ほど厭なものはない。自分に血道をあげて来た男の初々しさをきんは幾度も経験していた。きんは、そうした男の初々しさに惹かれていたし、高尚なものにも思っていた。理想的な相手を選ぶ事以外に彼女の興味はない。きんは、心の中で、田部をつまらぬ男になりさがったものだと思った。戦死もしないで戻って来た運の強さが、きんには運命を感じさせる。