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ばんきく
晩菊
林 芙美子
「別冊文藝春秋」文藝春秋、1948(昭和23)年11月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,998 字 · 32 页
肉体的には案外つまらない人であったが、きんには何となく忘れがたい人であった。ミッシェルさんと云って、もう、仏蘭西の北の何処かで死んでいるに違いない年齢である。仏蘭西へ帰ったミッシェルから、オパールとこまかいダイヤを散りばめた腕環を贈って来たが、それだけは戦争最中にも手放さなかった。――きんの関係した男達は、みんなそれぞれに偉くなっていったが、この終戦後は、その男達のおおかたは消息も判らなくなってしまった。相沢きんは相当の財産を溜め込んでいるだろうと云う風評であったが、きんはかつて待合をしようとか、料理屋をしようなぞとは一度も考えた事がなかった。持っているものと云えば、焼けなかった自分の家と、熱海に別荘を一軒持っているきりで、人の云うほどの金はなかった。別荘は義妹の名前になっていたのを、終戦後、折を見て手放してしまった。全くの無為徒食であったが、女中のきぬは義妹の世話であったが唖の女である。きんは、暮しも案外つつましくしていた。映画や芝居を見たいと云う気もなかったし、きんは何の目的もなくうろうろと外出する事はきらいであった。天日にさらされた時の自分の老いを人目に見られるのは厭であった。