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あさのかぜ

朝の風

宮本 百合子

「日本評論」1940(昭和15)年11月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,605 字 · 31 页

青空文庫

非常に深い安らかなよろこびがサヨの心を満していた。そんなよろこびと安心の感情は予想していなかった。それほど大きかった。そのうれしさや安心とはまた別に、さっき雑誌の頁の中に見た乙女の姿がサヨの心の裡にある。

雀の囀りが活々と塀のところに聞えたと思うとやがて、ラジオ体操のレコードがどこかで鳴り出した。ピアノの単純なメロディにつれて「ヨオーイ、始メッ」というあの在り来りのレコードだが、擡げた顔に朝日をうけて凝っとそのピアノのメロディを聴いているうちに、サヨの体は小刻みに震えて、忍びやかな嗚咽がこみあげて来た。

このメロディは、重吉とサヨが結婚して間もなかったころの初々しい朝の目覚めの中へ、どこか遠くから響いて来た単純なメロディであった。

メロディとともにその部屋をふきぬけて、二人の体の上をわたった夏の朝の風の思い出で、サヨは泣けて来るのであった。

今のよろこびに通じるまじりけのないよろこびの思い出のため、サヨは涙をおとした。