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ばいしのつえ

梅颸の杖

吉川 英治

「文藝春秋 オール読物号」1930(昭和5)年7月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,966 字 · 32 页

青空文庫

『お、御苦労だった。頼先生、あれでございましょうな』

山陽は、心のうちで、大塩の勢力に驚嘆した。わずか二刻を過ぎぬまに、盗難に遭った杖は、居ながら自分の前に戻って来たのである。

駕を断って、大塩家の門から五六町ほど歩いて来ると、うす暗い屋敷塀の蔭から、

『三本木の旦那、三本木の先生』

と、旦那と先生を交ぜて呼びとめる男があった。

山陽が、立ちどまって待つと、

『先程は、とんだ御心配をおかけいたしました』

と、色の小白い、ちょっと笑靨のある男が、頬冠りをとって、三尺帯の尻を下ろした。

『先程というが、一向覚えがないな。誰だ、おまえは』

『きょう三十石船で、お隣りに坐っておりました、ごまの蠅でございます』

『ふウむ……それじゃ杖を盗んだのは、おまえか』

『へい、手前なんで』

と、にっこと笑う。

『では、ことによると、ずうと以前に、わしの母が広島から便船で参る途中、あとを尾けて来たのも、お前ではないのか』

『それから、八百長へ生のいい鯛と鱸をお届けいたしましたが、召し上っておくんなすったでしょうか』

『あれも貴様か』

『あっしです』

『何でそんな悪戯をしたのか』

『仲間の意地です。