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じゅんし
殉死
山本 周五郎
「キング」大日本雄辯會講談社、1943(昭和18)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,737 字 · 21 页
江戸から来た八島主馬とかれとは、因幡守長治に百年のおりがあったらともに殉死するであろうと云われていた。当時は諸方の藩に殉死の風がさかんで、太守の不幸があると少なくて二三人、もっとも多い場合には二十数名に及んだこともあった、したがって主君の寵遇をうける者は、おのれもひとも、万一のときは泉下まで供をすべきものと暗黙のうちにきめていたのである。庄兵衛も主馬も、ひとがそう思うばかりでなく、自分たちもむろんその覚悟だったにちがいない、けれども寛文八年八月に幕府から殉死の禁令が発せられたので、追腹を切ることができなくなったのである。……禁令はきわめて厳重なものだった、禁を犯した者はその血族まで罰せられ、なお主家にさえ累が及ぶのである。代表的なものは宇都宮城主の奥平忠昌が死んで家臣の杉浦右衛門兵衛が殉死したとき、幕府は奥平家を山形へ移封し二万石を削った、そして杉浦の二子を斬罪に、婿二人と外孫を追放に処したのである。この例のきびしさは殉死の風がいかに根づよいものであったかということを示すもので、同時にそれ以来おおいに禁令の実があがったことも事実だった。つまり殉死はもはや主家に禍を及ぼす不忠な行為ということになったからである。