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ははのじょうきょう

母の上京

坂口 安吾

「人間 第二巻第一号」1947(昭和22)年1月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,655 字 · 33 页

青空文庫

早くも気配に危険を察して身を引かうとするのを、それを見ると、夏川は逆上的にむら/\と残酷な意慾がうごいてきた。

逃がしてなるものかと、とつさに夏川はムンズと組みついたが、ヒロシの痩せて細いこと、たわいもなく腕の中へ吸ひこまれて、あんまり思ひつめて組みついたものだから、あまりのアッケなさとあまりの軽さに拍子抜けがしてハッとしたものだ。そのときヒロシがキャアーッといふ悲鳴をあげた。キャアーッといふ悲鳴などゝ物の本には心やすく書いてあるが、こんな悲鳴を実際に耳にするといふことは一生のうちに幾度もある筈はないので、平和な人々の多くはこんな悲鳴を生涯知らずに終るのが自然であらう。夏川も四十の年までこんな悲鳴をきいたことはなかつたのである。

「ヒ、ヒ、ヒ、ヒ」

とヒロシは変な声をもらしたが、人殺しと叫ばうとして叫ぶことができなかつたのか、それとも単なる悲嘆の夢うつゝの嘆声であつたのか、よく分らない。

そのとき障子がガラリとあいて、母なる人が顔をだした。田舎から汽車にゆられてきた旅行用のモンペ姿で、白髪の姿をあらはしたのである。

夏川ははだかのヒロシを軽々と担ぐやうに抱きあげて、母の姿に面した。