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ぼしじょじょう
母子叙情
岡本 かの子
「文学界」1937(昭和12)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 77,355 字 · 153 页
濃く青い空は媚を含んでいつまでも暮れなかった。エッフェル塔は長い長い影を、セーヌ河岸の樹帯の葉の上や、密集した建物の上へはっきり曳きながら、広く河波に臨んで繊細で逞しい脚を驚くほど張り拡げていた。
街を歩くと、紫色やレモン色の室内の灯を背景に、道路まで並べ出されたキャフェの卓で、大勢の客がアペリチーフを飲みつつ行人を眺めていた。それは仄かで濃厚な黄昏を味わうという顔付きに一致して、いくらか横着に構えた貪慾な落着きにさえ見えた。
こういう夕暮に、かの女はよくパッシィの家を出て、あまり遠くないトロカデロ宮裏の広庭に行った。パッシィの町が尽きたところから左手へ折れ、そこからやや勾配を上る小路の道には、古風な石垣が片側の崖を防いでいた。僅かな樹海を通して、セーヌ河の河面の銀波に光る一片や、夕陽に煙った幻のようなエッフェル塔が見渡された。かの女は、時代をいつに置くとも判らない意識にするこの場所に暫く立ち停り、むす子のアトリエのあるモンパルナスの空を眺め乍ら、むす子を置いて日本へ去る親子の哀別の情を貫いて、もうあといくばくもない短い月日の流れの、倉皇として過ぎ行くけはいを感じるのであった。